在宅介護か施設入居か?介護の限界を見極めるべきポイント6点とは?
ご両親はおふたりともご健在ですか?それとも、一人暮らしですか?きっとしっかりなさっていて、我が家での暮らしを望んでいらっしゃると思います。けれどご高齢になると突然、調子を崩します。今回は、NPO法人「暮らしネット・えん」の小島美里さんの著書『あなたはどこで死にたいですか?』から、施設入居を決めるべきポイントや具体例を紹介します。
≪在宅一人暮らしを続けられない限界点を示す6つのポイント≫
1.食事が自分で摂れなくなった時
手順がわからなくなり、目の前にお弁当を置いても食べられなくなった時。認知症がもっと進むと食べ物を食べ物と認識できなくなり、お皿の模様を箸でつまもうとしたり、キャットフードを食べてしまったりする。台所洗剤や風呂用洗剤、漂白剤などを飲んでしまう危険もあります。
2.火の始末ができなくなった時
やかんでお湯を沸かしながら、忘れてしまう。何度も鍋を焦がす。タバコを吸うが、火の始末ができない。近所への延焼の可能性も高く、非常に危険です。
3.近所の人を被害妄想の対象にしてしまう時
「物盗られ妄想」で、その対象を近所の人に向けてしまう時。「Aさんが私の財布を盗んだ」と誰彼かまわず訴えて歩くことも起こります。また、近所へ深夜・早朝を問わずに押しかけて、警察沙汰になった例もあります。
4.一人暮らしの高齢者が頻繁にショートステイを利用するようになった時
これは、一人で過ごす時間が不安で耐えられなくなった時に起こります。本来、ショートステイは介護家族の休息のため利用する施設で、本人は施設に泊まりに行くことを嫌がるはずです。ご本人は言えませんが、もう一人が不安で限界です。
5.頻繁な徘徊で迷子になってしまう時
認知症の場合は、何かの目的があって歩き回るので本来の徘徊とは異なります。けれど、度々迷子になると危険です。交通事故にあったり、行方不明や行き倒れになる危険があります。
6.ところかまわず排泄してしまうようになった時
ヘルパーさんやデイサービスでオムツを交換してもらうことで管理できていたはずが、オムツを自分で外したり、ところかまわず排泄するようになってしまったら、一人暮らしはもう無理です。
(『あなたはどこで死にたいですか?』第1章―3「現場から見た、施設入居を決めるタイミング」(P.29~33)より抜粋引用)
次に、一人暮らしに限らず、在宅介護から施設入居への切り替えを見極めた実例をご紹介します。
≪電話がかけられなくなったために、グループホームに入居≫
Lさん(70歳、女性)は、65歳で認知症と診断され68歳からNPO法人「暮らしネット・えん」の小規模多機能サービスを利用。加えてLさんが住んでいる団地の女性4人が、ゴミの分別やゴミ出しの手伝いなど細やかな支援を好意で行っていました。
Lさんは不安になると人に聞かずにいられない性格で、小規模多機能サービスに電話して「今日はゴミの日?」などと頻繁に架電。ところが認知症が進んで電話が掛けられなくなり、ご近所に昼夜を問わず聞きに行く行動にエスカレート。苦情が団地で問題化。ついに団地にいられなくなり、グループホームに入居しました。
自宅と施設の境目は、Lさんの不安解消手段だった電話確認をできるかどうかでした。(P.34~35)
≪夜中に転び、そのまま朝まで起き上がれない事件を何度か起こして介護付き有料老人ホームへ≫
Mさん(94歳、女性)はNPO法人「暮らしネット・えん」が運営する共同居住タイプの住宅(共同リビングと独立した個室)に住んで10年。旅行が趣味でしたが、最近急激に体力が衰え、足も不自由に。夜中にトイレに行こうとして倒れ、そのまま朝まで自力で起き上がれず、他の住人やヘルパーに発見される事件が1年の間に立て続けに発生。
他の住人はMさんを心配し、成年後見人制度の保佐人も24時間態勢の介護施設への入居を助言。Mさんは、体験入居ののち、介護付き有料老人ホームへ入居。
Mさんの境目は、転んでしまうと自力で起き上がることのできない体力の衰えでした。(P.35~38)
≪介護を担う奥様が「私のことがわからなくなったら施設かも」と考えていた≫
Nさん(88歳、男性)は重度認知症で奥様と二人暮らし。84歳からNPO法人「暮らしネット・えん」の小規模多機能サービスに通っていました。施設に来ても、しばらくすると自分で自宅に帰り、また戻ってくる動作の繰り返し。施設に来ない日は、昔勤めていたの勤務先に向かい道に迷って警察に保護されたり、低血糖で倒れて保護されたり。それでも奥様は、自宅介護の継続を望んでいました。
ついにNさんの認知症がさらに進み、昼夜を問わず歩き回るNさんを追いかける奥様は疲労困憊。同時にNさんは奥様に向かって「あなた誰?」と言い始めました。奥様は「私のことが分からなくなったら施設かも。とは思っていたのよ。もういいかな」と施設入居を決断。この直前にNさんは肺炎を発症し、2週間後に他界なさいました。
Nさんの施設入居の境界点は、介護を担っていた奥様の納得感にありました。(P.38~40)
≪大腿骨骨折で車椅子となり、認知症が進んでしまった母を一人暮らしさせられないとご子息が決断≫
Eさん(83歳、女性)は一人暮らしで、認知症ですが身体障害がないために要介護1。ゴミの分別や捨て方が分からず、家中にゴミが散乱したため、NPO法人「暮らしネット・えん」が支援に入りました。生活環境が整うとEさんの体調や交友関係も復活し、関係者全員が安堵。
ところが、駅への道でEさんは転倒し、大腿骨骨折で入院。車椅子となり、入院中に認知症が悪化。介護度も要介護3に悪化。他県に住むご子息は、「もう一人でおいておくわけにはいかない」とEさんの入院中に特養への申し込みを行いました。
Eさんの一人暮らし限界点は、ご子息の「もう一人で置いておくわけにはいかない」という判断でした。(P.13~15)
≪買い物や食事の世話をしていた同居のご長男に癌が見つかり、手術を受けることになった時≫
Gさん(94歳、女性)は、夫の他界後、84歳で長男夫婦の家の離れに移り住み、買い物や食事の世話を受けていました。Gさんが87歳の時にご長男に癌が見つかり、サービス付高齢者住宅への入居を検討。ところがGさんの認知症が家族の認識以上に進んでいたため、NPO法人「暮らしネット・えん」のグループホームに入居。
Gさんは幻覚を口にし、さらに睡眠中に大声をだして暴れることも。かなりの速度で認知症が進み、4年後には要介護5に到達。
同時にもともと調子の悪かった膀胱が悪化し、尿道にカテーテルを入れる医療的ケアが必要な体調に悪化。グループホームでは医療的ケアに対応できず、医療系施設に転出。そこで2年後に他界されました。
Gさんの境界点は、日常の世話をしていた家族に病人が出た時でした。(P.20~21)
≪要介護度が3に悪化し、介護を担う家族が疲弊。「家族が元気でいてこそ介護ができるから」と決断≫
Jさん(78歳、女性)は、65歳の時にくも膜下出血で倒れ手術を受けて回復。後遺症は残らなかったが、3年後には認知症の症状が発現。夫が診察を促しても拒絶され、地域包括支援センターのアドバイスを受けて診断が下ったのが2年後。
要介護1と認定されてデイサービスに通い始めても、3か月後には認知症対応型デイサービスに異動。二人暮らしで働いている夫は、ヘルバーも頼んで仕事と介護を両立。
けれどJさんが73歳の時に要介護3に悪化し、負担の増加に夫は次第に疲弊。「まだ家で介護できるのではないか?だが、手伝ってくれる子どもたちの負担が大きい。夫婦で協力して買った家に最期まで住まわせたい。だが、自分がいつまで元気でいられるか分からない。」と気持ちは左右に揺れ続け、「家族が元気でいてこそ介護ができる。共倒れになってはいけない」と決断。偶然、自宅近くに新設された特養へ申し込み、幸いすぐに入居。入居後は、Jさんの軽度糖尿病が治って体調が改善。5年後に、ご家族やスタッフに見守られながら亡くなられたそうです。
Jさんの限界点は、介護を担う家族の心身の限界点でした。(P.23~27)
何か思い当たる節はありますか?介護に携わっていると、全体が見えなくなりがちです。どうか、誰か一人が犠牲になるのではなく、あなたもご家族も共倒れにならない介護ができますよう、心から祈っています。
☆『あなたはどこで死にたいですか?』小島美里(こじま・みさと)著、2022年7月発行、岩波書店、定価2,100円+税、ISBN978-4-00-061550-1 https://www.iwanami.co.jp/book/b608010.html
☆NPO法人「暮らしネット・えん」https://npoenn.com/
以上