「妻に男がいる」と暴れる認知症の嫉妬妄想が、完治できた実例を紹介します!(前編)
アルツハイマー型認知症の行動・心理症状(BPSD)が現れる時期は、症状の内容によって違います。妄想の場合は、認知症の進行とともに症状が出る頻度が増えます。妄想なのに事実と信じて疑わない嫉妬妄想。やっかいなこれを完治させた若年性アルツハイマー型認知症の実例を橋本 衛先生の論文から、今回と次回7月5日の前編・後編に分けて紹介します。
1.63歳男性、Rさんが橋本 衛先生を受診するまで
主に訴える症状:日付がわからなくなってきた
生活歴:
①大学卒業後市役所に就職し、60歳で定年退職。
②退職後は地域の自治会役員を務め、活動的に生活していました。
③子どもは1人。すでに独立し、妻と2人暮らし。奥様はパートを続けているので、日中留守にすることが多い。
④ご夫婦ともに過去に不貞の事実はありません。
現病歴:
①初診の2年前頃からRさんが計算を間違えるようになり、集金したお金の計算が合わないことが増えました。
②自治会役員の仕事に支障をきたすようになり、同じ頃から物忘れも目立つようになって、役員会の日時を間違えるようになりました。
③初診の1年前頃から漢字の書き間違いが増えたため、認知症の始まりを心配した奥様に伴われて橋本 衛先生を受診。
④奥様の話ではRさんの日常生活は介助の必要もなく、車の運転についても事故や道に迷うこともなく安定していました。
初診時の症状:
*穏やかな表情で、態度も礼儀や節度をわきまえていて、医師からの質問にもはきはきと返答。
*Rさんには認知機能が低下している自覚があり、「複雑な作業がしにくくなった」と話しました。
*最近の出来事を思い出すことが難しく、「記憶障害」がありました。
*さらに(5+7)のような一桁の足し算を間違える著しい「計算障害」(*5)と、ひらがなを書けない「書字障害」もありました。
*立方体を書き写すことができず、「構成障害」(*6)も発見されました。
*様々な神経学的診断によってどの部位に障害が存在するか検査した結果、明らかな異常はありませんでした。
*初診時のミニメンタルステート検査(*1)(MMSE)は19点で、軽度の認知症状態。
脳の画像検査:
頭部 MRI では、両側の頭頂葉で、病変をはっきりと限定することができず広範囲に拡がっている脳の萎縮と、海馬の萎縮を確認。
脳血流シンチグラフィー(IMP-SPECT )(*2)では、大脳の右側に言語中枢があるため右側が優位となっている脳の両側の頭頂葉、側頭葉と前頭葉ならびに後部帯状回(*3)の血流低下を確認。
2.Rさんへの診断と治療と経過
初診の診断結果:
進行する速さがゆっくりで、「記憶障害」を含む複数の認知領域の機能が低下している点と、脳の画像所見から「若年性アルツハイマー病」(*4)と診断。
治療方法:
抗認知症薬の服用と2週間おきの作業療法。2週間おきに通院してもらい、苦手になっている計算や書字の訓練を中心とした作業療法を実施。
治療の経過:
①初診から1年後、認知機能の再評価をしたところ、ミニメンタルステート検査(MMSE)が19点から16点に低下。
②「計算障害」(*5)や「構成障害」(*6)も進行。
③この時点では自動車運転に支障はみられなかったのですが、「認知機能障害」の悪化により交通事故を引き起こす危険性が高いと判断。奥様や作業療法士と相談の上、「運転を中止することが望ましい」とRさんに伝えました。
④Rさんは「そうですか」と運転中止を受け入れた様子でした。
⑤運転を中止するように告げた2週間後の診察では、Rさんは浮かない表情で活気がなく、抑うつ的(*7)になっている印象でした。
この後、運転中止がきっかけとなりRさんに嫉妬妄想が現れます。橋本先生がRさんの心情を推測し、仮説を立てて治療をおこない、やっかいな嫉妬妄想を完治させた治療方針と経過は次回7月5日後編をごらんください。
謝辞:橋本 衛先生をはじめ、認知症の臨床・研究・介護に従事なさっていらっしゃる全ての皆様に感謝するとともに、認知症の患者さんとご家族がより良い時間を過ごせますよう、すべての医療・介護従事者の皆さまの益々のご活躍・ご発展を祈念します。
☆論文「初期認知症患者の心理と BPSD 」橋本 衛 近畿大学医学部 精神神経科学教室 近畿大医誌(Med J Kindai Univ)第47巻1・2号 3〜9頁 2022年 近畿大学学術情報リポジトリ https://kindai.repo.nii.ac.jp/record/22622/files/AN00063584-20220624-0003.pdf
☆橋本 衛先生の “ 認 知 症における嫉 妬 妄 想 治 療マニュアル”
https://www.bpsd-map.com/download/data/bpsd_8.pdf
このマニュアルは、嫉妬妄想が生み出される心の動きを理解し、その原因を取り除くこと、特に患者さんの劣等感への対応を重視なさったそうです。かなり専門的ですがご興味があれば、上のURLからダウンロードなさってください。
☆ホームページ「認知症ちえのわnet」https://chienowa-net.com/ 認知症ちえのわnetとは、認知症の人におこる様々な症状に対する対応法の「うまくいく」確率を公開するサイトです。「皆さんのケアの体験を投稿してください。過去の投稿とよく似たケアの体験・対応法でもかまいません。コンピュータが自動集計しますので、気軽にご投稿下さい。よりよい対応法をみんなで見つけましょう。」と呼びかけられています。
補注
*1:ミニメンタルステート検査Mini-Mental State(MMSE):認知症の疑いがあるときに行う神経心理検査です。認知機能の低下を点数で客観的に計測することができ、世界各国で用いられている検査方法 。ナース専科 https://knowledge.nurse-senka.jp/500413
*2:脳血流シンチグラフィー:脳血流シンチグラフィーとは、脳血流量を評価する画像検査です。例えば、MRAなどの検査で脳の主幹動脈に狭さくや閉塞が発見された場合に、脳血流シンチグラフィーによって今後の脳梗塞を発症するリスクを予測することができます。洛和会音羽病院 https://www.rakuwa.or.jp/otowa/shinryoka/nougeka/spect.html#:~:text=%E8%84%B3%E8%A1%80%E6%B5%81%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E8%84%B3%E8%A1%80%E6%B5%81%E9%87%8F,%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
*3:帯状回(たいじょうかい):帯状回は大脳辺縁系の各部位を結びつける役割を果たしており、感情の形成と処理、学習と記憶に関わりを持つ部位。また、呼吸器系の調整、感情による記憶にも関わりを持つています。難病 パーキンソン病 家内と共に生きる。Akira Magazine https://www.akira3132.info/limbic_system.html#%E5%B8%AF%E7%8A%B6%E5%9B%9E
*4:若年性アルツハイマーとは:65歳未満の人に発症するアルツハイマー型認知症のことを若年性アルツハイマーと呼び、令和2年の調査では若年性認知症の原因となる基礎疾患の半分以上を占めています。老人ホーム・介護施設を探すなら、ライフル介護 https://kaigo.homes.co.jp/manual/dementia/basic/early/alzheimer/
*5:計算力障害:認知症の場合には、もの忘れ(記憶障害)にとどまらずに、簡単な計算ができなくなり(計算力障害)、時間や場所の見当がつかなくなり(見当識障害)、判断力の低下のため少し複雑な状況になると正しい判断ができなくなるという判断障害へと進行していきます。名古屋認知症・物忘れ相談室 https://kobayakawa-dm.com/dementia/symptoms/keisan/
*6:アルツハイマー型認知症の構成障害:アルツハイマー型認知症では構成失行が病気の初期から出現しますが、進行すると観念運動性失行、観念失行が出現します。 これらの失行は、幼少の頃から習い覚えた動作である手続き記憶の障害と合併し進行し、最終的には整容、食事、入浴、排泄などが出来なくなり、最終的に運動動作も行えない状態になります。桑名眼科脳神経外科クリニック https://kuwana-sc.com/brain/1620/
*7:認知症の抑うつ:認知症になり、様々な認知機能が落ちてくると、日常生活に支障が出てきます。できないことが増えるため、気分が落ち込むうつ(抑うつ)状態が見られることがあります。意欲の低下や不眠、食欲が落ちたり何事にも興味・関心を示さなくなることから、うつ病と誤解されがちですが、認知症のBPSDとしてのうつ状態です。うつ病が悲観的なのに対し、認知症によるうつ状態は無関心が多いと言われています。認知症によるうつ(抑うつ)状態〜うつ病との違いは? 認知症ねっと https://info.ninchisho.net/symptom/s100#:~:text=%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%81%E6%A7%98%E3%80%85,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%A4%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
*8:嫉妬妄想:嫉妬妄想は、恋人や配偶者が、浮気していると思い込む症状です。認知症の周辺症状の一つで、本人の性格や周囲の環境に起因して発症します。嫉妬妄想が起こると、根拠がないにも関わらずパートナーが浮気していると確信します。一度思い込むと、二度と思い込みを訂正できないのが嫉妬妄想の特徴です。たとえパートナー本人が浮気を否定しても、疑いを捨てることはできません。また、パートナーが少しでも異性と接触すると、「やっぱり浮気していたんだ!」とますます確信を強めることもあります。健達ねっと https://www.mcsg.co.jp/kentatsu/dementia/4812
*9:リスペリドン:抗精神病薬に分類されるお薬で、幻覚や妄想・興奮などの精神科的症状を抑えるための治療薬です。もともとは認知症の治療薬ではありませんが、認知症でも同じような症状が出る場合に使われることがあります。 国立長寿医療研究センター https://www.ncgg.go.jp/dementia/cure/025.html#:~:text=%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%89%E3%83%B3%E3%81%AF%E6%8A%97%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%96%AC,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
以上