「妻に男がいる」と暴れる認知症の嫉妬妄想が、完治できた実例を紹介します!(後編)
アルツハイマー型認知症の行動・心理症状(BPSD)の1つが、嫉妬妄想(*8)です。妄想にもかかわらず、事実と信じて疑わず、訂正もできない嫉妬妄想。Rさんのやっかいな嫉妬妄想を完治させた治療方針と経過を橋本 衛先生の論文から、前回6月28日前編に続いて紹介します。
3.Rさんに行動・心理症状(BPSD)の嫉妬妄想が現れる
運転中止後の経過:
①運転中止を告げられてからしばらくして、奥様が自宅2階で家事をしていると、「誰か男が来ていたのか!」とRさんが詰問するようになりました。
②次第に被害妄想的な言動が増え、「お前たちは自分を邪魔者にしている」と言うようになりました。
③さらに妄想がエスカレートし、「妻のところに男が通っている」「俺が認知症だからお前が馬鹿にしている」と訴え、興奮して奥様につかみかかるようになりました。
④Rさんの変化に戸惑った奥様は、病院の作業療法士に連絡。
嫉妬妄想が現れた原因について橋本先生の仮説:
①Rさんは1年前の初診の時から「複雑な作業ができなくなった」と思い悩んでいた。
②追い打ちをかけるように担当医から運転中止を告げられ、「自分は自動車運転もできなくなった」という喪失体験が、現在も働き続けている配偶者への劣等感を強く植え付けることになったと考えられる。
③このような場合、患者さんは「何もわからなくなった」「配偶者に迷惑をかけている」と悲観し自分を責め続けるが、やがて自分を責め続けることに耐えられなくなる。
④そこで「配偶者が浮気をするので自分は迷惑している。自分は被害者だ。」と自分と配偶者の立場を心の中で逆転させ、配偶者を攻撃することで自分自身の価値(心)を守ろうとする。
⑤橋本先生は、Rさんの嫉妬妄想を「Rさんの喪失感と奥様への劣等感に耐えられなくなった末に、自分の価値と誇りを取り戻そうとする心の表現」との仮説を立てて、治療を始めました。
4.Rさんの嫉妬妄想に対する治療と経過
治療方針:
仮説にしたがって「Rさんの喪失感に対処し、奥様への劣等感をやわらげる」対策を実施。
治療方法:
①奥様とご長男にRさんの妄想が引き起こされた仕組みを詳しく説明し、以下の協力をお願いしました。
a)Rさんの自己肯定感を高めるために「お父さんがいてくれて助かった」のようなRさんをたてる声かけを頻繁に行うことと、Rさんの家庭内での役割を増やすことを提案。
b)また奥様の回数の多い1人外出は嫉妬妄想を誘発するので、Rさんの妄想がおさまるまではできる限り1人での外出を控えるようにお願いしました。
c)さらにRさんご夫婦が2人で孤立しないように、別居しているご長男に、できる限り実家を訪問し、両親の緩衝役としての役割を果たすことと、奥様の話し相手になって精神的負担を軽減するように依頼しました。
d)計算や書字の訓練を中心に実施していた作業療法は、達成感よりもむしろ機能低下をRさんに自覚させているだけではないかと反省し、成功体験を実感できるようなプログラムに修正。
e)同時に薬による治療として、アルツハイマー病患者の妄想に対して有効性が示されている「リスペリドン」(*9)を開始。
②a)~e)の対策を同時に実施したところ、Rさんの嫉妬妄想は 3 ヶ月程度で消えました。その後はRさんの妄想が再燃することもなく、穏やかに在宅での生活を継続しています。
5.認知症とともに幸せに生きて行こう
認知症は、末期になると歯を磨くこともご飯を食べることもできなくなってしまう病気で、完治できる薬もまだありません。ですから、「認知症医療は、早期発見、早期絶望」と揶揄する声もあります。それでも橋本先生はこの論文を以下のように締めくくられています。
『(前略)「話を聞いて欲しい」「病状や予後を説明して欲しい」「気持ちを汲んで欲しい」という要望には応えることはできるはずである.認知症と診断され希望を失った患者が,「認知症とともに幸せに生きて行こう」と決意できるような支援が,現在の認知症医療には求められている.』
認知症に伴う行動・心理症状(BPSD)、つまり易刺激性,焦燥・興奮,脱抑制,異常行動,妄想,幻覚,うつ,不安,多幸感,アパシー,夜間行動異常,食行動異常などの症状に、素人のわたしたちが家庭で向き合うなんて地獄です。病気と理解していても、元気だった頃の姿と比較してしまい、悲しくて情けなくて苦しいです。
それでも懸命に探せば、漢方薬で過食行動や昼夜逆転を治療してくださる先生や心に注目した方法で治りにくいと言われる嫉妬妄想を治療し、家族を支援してくださる橋本先生のような先生方もいらっしゃいます。
認知症介護の毎日が苦しいからこそ、「認知症とともに幸せに生きる」ためには諦めないで、認知症の家族と一緒に幸せに生きる方法を探しましょう!
謝辞:橋本 衛先生をはじめ、認知症の臨床・研究・介護に従事なさっていらっしゃる全ての皆様に感謝するとともに、認知症の患者さんとご家族がより良い時間を過ごせますよう、すべての医療・介護従事者の皆さまの益々のご活躍・ご発展を祈念します。
☆論文「初期認知症患者の心理と BPSD 」橋本 衛 近畿大学医学部 精神神経科学教室 近畿大医誌(Med J Kindai Univ)第47巻1・2号 3〜9頁 2022年 近畿大学学術情報リポジトリ https://kindai.repo.nii.ac.jp/record/22622/files/AN00063584-20220624-0003.pdf
☆橋本 衛先生の “ 認 知 症における嫉 妬 妄 想 治 療マニュアル”
https://www.bpsd-map.com/download/data/bpsd_8.pdf
このマニュアルは、嫉妬妄想が生み出される心の動きを理解し、その原因を取り除くこと、特に患者さんの劣等感への対応を重視したそうです。かなり専門的ですがご興味があれば、上のURLからダウンロードなさってください。
☆ホームページ「認知症ちえのわnet」https://chienowa-net.com/ 認知症ちえのわnetとは、認知症の人におこる様々な症状に対する対応法の「うまくいく」確率を公開するサイトです。「皆さんのケアの体験を投稿してください。過去の投稿とよく似たケアの体験・対応法でもかまいません。コンピュータが自動集計しますので、気軽にご投稿下さい。よりよい対応法をみんなで見つけましょう。」と呼びかけられています。
補注
*1:ミニメンタルステート検査Mini-Mental State(MMSE):認知症の疑いがあるときに行う神経心理検査です。認知機能の低下を点数で客観的に計測することができ、世界各国で用いられている検査方法 。ナース専科 https://knowledge.nurse-senka.jp/500413
*2:脳血流シンチグラフィー:脳血流シンチグラフィーとは、脳血流量を評価する画像検査です。例えば、MRAなどの検査で脳の主幹動脈に狭さくや閉塞が発見された場合に、脳血流シンチグラフィーによって今後の脳梗塞を発症するリスクを予測することができます。洛和会音羽病院 https://www.rakuwa.or.jp/otowa/shinryoka/nougeka/spect.html#:~:text=%E8%84%B3%E8%A1%80%E6%B5%81%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E8%84%B3%E8%A1%80%E6%B5%81%E9%87%8F,%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
*3:帯状回(たいじょうかい):帯状回は大脳辺縁系の各部位を結びつける役割を果たしており、感情の形成と処理、学習と記憶に関わりを持つ部位。また、呼吸器系の調整、感情による記憶にも関わりを持つています。難病 パーキンソン病 家内と共に生きる。Akira Magazine https://www.akira3132.info/limbic_system.html#%E5%B8%AF%E7%8A%B6%E5%9B%9E
*4:若年性アルツハイマーとは:65歳未満の人に発症するアルツハイマー型認知症のことを若年性アルツハイマーと呼び、令和2年の調査では若年性認知症の原因となる基礎疾患の半分以上を占めています。老人ホーム・介護施設を探すなら、ライフル介護 https://kaigo.homes.co.jp/manual/dementia/basic/early/alzheimer/
*5:計算力障害:認知症の場合には、もの忘れ(記憶障害)にとどまらずに、簡単な計算ができなくなり(計算力障害)、時間や場所の見当がつかなくなり(見当識障害)、判断力の低下のため少し複雑な状況になると正しい判断ができなくなるという判断障害へと進行していきます。名古屋認知症・物忘れ相談室 https://kobayakawa-dm.com/dementia/symptoms/keisan/
*6:アルツハイマー型認知症の構成障害:アルツハイマー型認知症では構成失行が病気の初期から出現しますが、進行すると観念運動性失行、観念失行が出現します。 これらの失行は、幼少の頃から習い覚えた動作である手続き記憶の障害と合併し進行し、最終的には整容、食事、入浴、排泄などが出来なくなり、最終的に運動動作も行えない状態になります。桑名眼科脳神経外科クリニック https://kuwana-sc.com/brain/1620/
*7:認知症の抑うつ:認知症になり、様々な認知機能が落ちてくると、日常生活に支障が出てきます。できないことが増えるため、気分が落ち込むうつ(抑うつ)状態が見られることがあります。意欲の低下や不眠、食欲が落ちたり何事にも興味・関心を示さなくなることから、うつ病と誤解されがちですが、認知症のBPSDとしてのうつ状態です。うつ病が悲観的なのに対し、認知症によるうつ状態は無関心が多いと言われています。認知症によるうつ(抑うつ)状態〜うつ病との違いは? 認知症ねっと https://info.ninchisho.net/symptom/s100#:~:text=%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%81%E6%A7%98%E3%80%85,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%A4%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
*8:嫉妬妄想:嫉妬妄想は、恋人や配偶者が、浮気していると思い込む症状です。認知症の周辺症状の一つで、本人の性格や周囲の環境に起因して発症します。嫉妬妄想が起こると、根拠がないにも関わらずパートナーが浮気していると確信します。一度思い込むと、二度と思い込みを訂正できないのが嫉妬妄想の特徴です。たとえパートナー本人が浮気を否定しても、疑いを捨てることはできません。また、パートナーが少しでも異性と接触すると、「やっぱり浮気していたんだ!」とますます確信を強めることもあります。健達ねっと https://www.mcsg.co.jp/kentatsu/dementia/4812
*9:リスペリドン:抗精神病薬に分類されるお薬で、幻覚や妄想・興奮などの精神科的症状を抑えるための治療薬です。もともとは認知症の治療薬ではありませんが、認知症でも同じような症状が出る場合に使われることがあります。 国立長寿医療研究センター https://www.ncgg.go.jp/dementia/cure/025.html#:~:text=%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%89%E3%83%B3%E3%81%AF%E6%8A%97%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%96%AC,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
以上