家族史を手づくり 2

『祖母の背中』

祖母は厳格で近寄りがたかった
祖母は厳格で近寄りがたかった

明治生まれの祖母は、厳格で近寄りがたい存在でした。

会津で生まれ、生後間もなく北海道の厚岸に移住。小学校を卒業後、子守り奉公のために東京に来たと聞きました。

祖母が住んでいた頃の厚岸湾は、冬には全面結氷し、対岸の学校にショートカットで通えたから嬉しかったと、祖母が話してくれました。

長女だから、家にお金を入れなくちゃなんないから、1人で会津に渡り、親戚に連れられて会津から東京まで歩いたと、祖母は笑って話しました。

青函連絡船に乗り、わずかな衣類を包んだ風呂敷包みをギュッと抱きしめ、ワクワクしたと。初めての船に興奮し、「良いことがいっぱい待ってる予感がした」と。

祖母のその後は、幸運だけではありませんでした。結婚後、子ども5人がまだ幼い時に、夫に先立たれます。1人で育て上げた子どもたちが独立し、やっと生活が安定した矢先、頼みとしていた長男が妻と5人の子どもたちを残して他界します。

何度も不運に泣きながら、子どもたち・孫たちを育て上げ、明治・大正・昭和を生き抜いた祖母。彼女の勁さは何だったのでしょうか?

仕事や人間関係で苦しむと、偉丈夫だった祖母に逆境に屈しないコツを伝授してもらえば良かったと、いつも後悔します。

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