終戦の3年後に生まれた母は、生後10カ月でキティ台風という大型台風に襲われ、
堤防の決壊で家を失い、台風の通過後に蔓延した赤痢(せきり)で母親まで失ったそうです。
その後の母はどんな環境で育ったのか、義理の母親から愛情を注いでいただけたのか?
母は何も語りません。
当時は日本の一部だった「大連」で生まれ育った父は、幼い頃の話をしない。
「引き揚げもん」と呼ばれた父は、どんな境遇で育ち、何を夢見ていたのだろうか?
何がきっかけで、母と一緒になったのだろうか?
日本が貧しい後進国だった時代に生まれ育った先輩方は、わたしたちの想像外の苦難を乗り越えています。
ご両親が元気なうちに、心に秘めたままの貴重な体験や生きる知恵を教えて頂きませんか?
浅海直二郎商店の聞き書きの制作支援サービス「絆の家族史」は、あなたに代わって家族の歴史を制作します。