介護される側が歩んできた人生に興味を持とうと教えてくれる『わけあり記者の両親ダブル介護』を紹介!
中日新聞の政治部記者として活躍なさっていた三浦耕喜氏が、アルツハイマー型認知症で要介護4のお母様と車いす生活で要介護3のお父様、加えてご自身が難病「パーキンソン病」を発病しながら生活部に異動し、さらに実家近くの支社デスクへ転属してご両親の介護をし終えた物語。この本を紹介します。
『わけあり記者の両親ダブル介護』三浦耕喜(みうら・こうき)著、2020年1月発行、株式会社春陽堂書店、定価1,800円+税、ISBN978-4-394-90364-2
本の大きさは、縦19㎝弱、横13㎝弱、厚みは1.5㎝弱の187ページ。元々が、2016年~2019年に中日新聞の生活面に連載されていた「生活部記者の両親ダブル介護」という記事ですから、日付ごとに800字以内にまとめられていて、読みやすいです。
内容は5章に分かれ、最後の「Ⅴ 介護される側の人生に関心を持つ|介護の苦労が軽減」の項で、三浦氏がご自身の体験から結晶化した想いが綴られています。
- ダブル介護の到来|2016年
- 病院の母と施設の父|2017年
- 父の他界|2018年
- 老いゆく母の喜びと悲しみ|2019年
- 介護される側の人生に関心を持つ|介護の苦労が軽減
あとがき*母の死と「介護における、ささやかな喜び」
三浦氏のような壮絶な介護を私は体験していませんが、介護の、特に認知症の介護経験のある方なら「ウチもそうだった」と共感を覚える描写が多くでてきます。
『正直、「一憂」ばかり繰り返した。介護を予感して本気でまずいと案じたのは、帰るたびに台所が荒れていったこと。卓上は食べかけの総菜の類いで隙間もない。床には散らかったビニール袋の間にナスやらダイコンやらが埋もれている。冷蔵庫には賞味期限切れの肉や豆腐の奥で、キュウリが液状化していた。
片付けながら、親の老いを発掘しているような気分になる。(後略)』(Ⅰダブル介護の到来 19ぺージより引用)
三浦氏の場合、お母様がアルツハイマー型認知症だったので台所が現場ですが、私の場合は父だったので書類や役所関係の手続きなどがぐちゃぐちゃでした。3・4種類服用していた薬の管理も、いくら便利グッズを揃えてもめちゃくちゃでした。
認知症の前段階、軽度認知障害に気づいて、物忘れ外来や神経内科、あるいは認知症専門医にかかっていればと後悔しています。早期なら効果が高いアリセプトを早めに服用していれば、認知症の進行を遅らせることができたのに。あの時の私は三浦氏と同じように、父の混沌状態に愕然としつつも目をそらし続けました。「やばい」と感じつつも、父の認知症と真正面から向き合うことを避け続けました。
そして三浦氏は、六車由実(むぐるま・ゆみ)さんが提唱する「介護民俗学」を2017年にはもう毎日の介護に取り入れていらっしゃいました。
『(前略)一見無意味に見える認知症患者の行動も、この手法(介護民俗学)を応用すると理解できる。
母もまだ歩き回れた時、トイレに入るたびにトイレットペーパーを手にぐるぐる巻きにしていた。また無駄にして・・・とイラッとくることもあったが、お尻を拭く紙にも欠いていた時代を経たことを思うと、「そりゃ、紙があるうちにゲットしとこうと思うよな」と納得できる。
「お母さん、紙ならいっぱいありますよ。もう行列に並ばなくてもいいんですよ」
「ほうかね」
やりとりもやさしくなる。
想定外の展開に振り回されることばかりの介護では、この「理解」と「納得」こそ、日々を穏やかにしてくれるのだ。(後略)』(Ⅱ病院の母と施設の父|2017年 47ページより引用)
介護民俗学では、高齢者をその方が生きてきた時代を目撃し、体験してきた「記憶の器」と捉えるのだそうです。そして、溜まっているその方の記憶から突飛な行動の理由や背景を「理解」し、「納得」する。
ウチの父は、鼻をかんだり口元をぬぐったティッシュペーパーを、上着のポケットに必ず溜め込んでいました。三浦氏のお母様と同じように、紙が貴重だった時代に戻っていたんですね。
けれど我が家では、母もわたしも介護民俗学を知らなかったので、「使ったティッシュペーパーは汚いから捨てて」と理屈を言い続けました。ポケットのティッシュペーパーを捨て忘れたまま洗濯機で洗ってしまい、一緒に洗った洗濯物が全部ティッシュペーパーまみれになることも度々ありました。
30年以上もリュウマチを患っている母はこらえ性がなくて、三浦氏の穏やかとは正反対に、ヒステリックに罵詈雑言を父に浴びせました。それは醜い光景でした。
『(前略)父を世話していた母は、今から思うと・・・という注釈付きですが、すでにそのころには認知症を患っていたのでしょう。父にオムツをはかせるにも、袋に書いてある説明書きが理解できないものだから、オムツの前後が分からない。父はシモのことも自分でできない屈辱感に打ちのめされていたのでしょう。もたもたしている母を罵倒していました。罵倒された母は、過去の父の悪事を並べ立て、10倍くらい言い返します。父は「だったら、早よ俺を殺してくれよ」と母を睨み付ける。在宅での老老介護は罵詈雑言にあふれていました。(後略)』(Ⅴ介護される側の人生に関心を持つ|介護の苦労が軽減 160~161ページより引用)
この文章を読んで、ほっとしました。三浦氏のご家庭でも、ウチと同じだったのだと。本当に、大人として考えられないような罵り合いはショックでした。だからこそ老老介護で罵り合っているご両親が、どのように育ち、どんなきっかけで知り合い、結婚して自分に生を授けてくれたのか、興味を持たれたのだと思います。
『(前略)どんな人の心にも、その奥底には自分が生きていた時代と人生の記憶を宿しています。たとえ口がきけなくなっても、人生の来し方、行く末を考えていると、両親の介護を通じて確信しました。
その記憶と共にあなた自身のヒストリーもあります。今、目の前に横たわっているその人は、親であったなら、親が生きてきた歴史であり、あなた自身のルーツでもあるのです。
親が元気なうちは、そんなことは思いもしないでしょう。いよいよ親が人生の黄昏時を迎えた時に気付くのです。私も親の好物も知らず、誕生日でさえ曖昧でした。自分がこの世に産み落とされるまでに、親はどんな人生を歩んできたのか。私は知らないでいました。私にとっては、両親の介護は、それを引き出す最後のチャンスとなりました。(後略)』(Ⅴ介護される側の人生に関心を持つ|介護の苦労が軽減 167~168ページより引用)
わたしも父が他界した後で、父の物語や父と母が作った我が家の物語をもっと聞き出せば良かったと後悔しました。父の記憶や時代背景をもっと理解していれば、最晩年にあんなに醜い時間を過ごさなくても済んだのでしょう。そして父の歴史は、老いに突入するわたしに残された時間を元気に生ききる勇気を、与えてくれたかもしれません。
あなたは、これからご両親の介護が始まりますか?それならば、『わけあり記者の両親ダブル介護』をお勧めします。
☆『わけあり記者の両親ダブル介護』https://www.shunyodo.co.jp/shopdetail/000000000690/
☆三浦耕喜 https://ja-jp.facebook.com/koki.miura.50
☆人生の最期の季節をどう生きるのかを母に教えてもらっているのね(前半) https://kizuna-iyashi.com/2019/07/05/homemade-17/
☆人生の最期の季節をどう生きるのかを母に教えてもらっているのね(後半) https://kizuna-iyashi.com/2019/07/12/homemade-18/
以上