『雛寿司とでんぶ』
母の料理は最高でした。
築地の料亭にも負けない黒豆の含め煮、夏の定番は東京会館風ヴィシソワーズ、甘酢だれにレモンが効いた油淋鶏。あちこちの料理教室にも通い、一時期は毎週末の朝、クロワッサンやロールパンが焼きあがる香りで目覚める贅沢を、母は味わわせてくれました。
特にひな祭りには必ず、寿司酢から手づくりのちらし寿司を薄焼き卵で包み、海苔で目鼻を描いた雛寿司を作ってくれました。姿形も美しく、ひな祭りにしか食べられないご馳走とあって、本当に絶品でした。
後年、美味しいと聞いた茶巾寿司はほとんど食べましたが、母の雛寿司にはどれも及びませんでした。
もう一品。母の手づくりに及ぶ品がなかったのが、でんぶ。子どもの頃は、お豆腐屋さんの店頭にふりかけや佃煮と一緒にパック入りの桜でんぶが売られていました。
何度ねだっても、着色料が体に悪いからと買ってくれません。私と妹の「買ってー!」「買ってー!」攻撃にも、母はひるみませんでした。
とある晩、「子どもは早く寝なさい」と私たちを追い立てながら、母は大鍋に湯を沸かし、せわしげに立ち働いていました。翌朝、お膳にはベージュがかった何かの小鉢が並んでいます。
おから?それは、でんぶでした。食紅を使わないから淡いベージュ色で、お寿司屋さんが作るみたいに完璧には身がほぐれていないので、小さな玉が残っていました。それでも、鯛の風味が味わえる極上のでんぶでした。
おまけに母のでんぶは、鯛や鱈のアラを求めて作っています。だから近所の魚屋さんに、鯛や鱈のアラが大量に出ないと作れない貴重なご馳走でした。
雛寿司もでんぶも、「情報」や「トレンド」から生まれた、頭に美味しい料理ではありません。大枚をはたいて購うのではなく、母の思いと工夫から生まれた、心と体に染み透るご馳走でした。